コーフボール協会普及部長にしてコーフボール選手でもある信時盛人(のぶとき もりと)さん。
「コーフボール(#Korfball)をオリンピック競技にする」ことをVISIONに掲げ、現在はタイにてコーフボール普及活動をしています。
今回は、そんな信時さんにタイでの挑戦についてインタビューしてきました。
– コーフボールとの出会い
信時「コーフボールを始めたのは、実はTwitterがきっかけなんです。元々は高校と大学で陸上の100m走をやっていました。当時は、やるからには上を目指そうと毎日繰り返しハードな練習をして日本代表を目指してまして、10秒8(100m走)まで走れるようになりました。
しかし、この世界で戦っていくのは厳しいと感じたタイミングがありまして、このまま続けるかどうか悩みました。その時、たまたまテレビをみてたら、30歳からクレー射撃を始めて、オリンピック選手になった特集をやっていたんですね。見方を変えれば、日の丸を背負うことだってできると閃き、すぐインターネットで調べました。そこから自分が何か挑戦できそうなマイナースポーツを探すことから始めたんです。
一歩踏み出し探してみると、Twitterでコーフボールの理事長から、『一度東京に遊びに来ないか?』と誘われ、コーフボールをはじめてしまったんです。」
*** コーフボールとは? ***
コーフボールは1902年、オランダで生まれたニュースポーツです。教師のニッコ・ブロークフィセ氏が、少年と少女が混合で楽しめる屋外スポーツとしてバスケットボールのルールを基に考案しました。「コーフ(Korf)」はオランダ語で、「バスケット(籠)」を意味します。
ルール
•ドリブルは禁止。(パス主体のゲーム展開)
•ボール持ってから移動できるのは2歩まで。
•シュートはどこからでも打つことができるが、どこから打っても得点は1ポイント。
•試合は男女混合で行うが、異性をマークすることは禁止。
•接触プレーは禁止。
•ディフェンスが至近距離にいるときにシュートを打つと、オフェンスは「ディフェンド」とい
う反則になる。 至近距離の判断は、ディフェンスが伸ばした手がオフェンスの胸元に届くほど
の距離。
信時さんコメント
「ドリブルがないバスケ」と呼んでいます。背景として、小学生は体格差にばらつきがあり、また男女一緒に授業をやることが殆どなので、『男女一緒に、運動が得意な子でも苦手な子でもできるよう、アンフェアな部分をなるべく無くそう』ということで小学生にでもできるバスケがないか考案されました。ルールではドリブルを禁止したり、ワンマンプレーができないような仕組みになってます。チームで協力してやらないとゴールが奪えないので、チームワークがより重要になってきます。」
– なぜタイで普及活動をしているのか?
信時「コーフボールの国際連盟としての目標がオリンピック競技になることなんです。そのためには、75カ国でやられていることが必要で、現在の普及カ国は69カ国なんですね。
タイへ来たのは仕事がきっかけなのですが、タイにはコーフボールがなく、自分が活動すれば少しでも貢献できると思い、0から普及活動をはじめました。
最初はタイコーフボール協会もなく、練習もろくにできない大変な時期もありましたが、現在は学校を中心に少しずつ形になってきて、毎週練習できるようになりました。少し前までタイで誰も知らなかったコーフボールがここまでできるようになったのは中々感慨深いなと。」
– 今後のビジョン
信時「日本でも全国で体験会を開催しています。2020年までに47都道府県を回って開催するというのを目標にやっていますね。
2020東京オリンピックでも楽しみながら、ただ楽しむだけじゃなく、自分にできる形で何かやれたらと思ってます。最終的にはコーフボールをオリンピック競技にできるよう貢献していきたいです。」
信時さんとご一緒して一番印象的だったのは、人とのコミュニケーションを人一倍大切にしているということです。自ら行動を起こし、0から人間関係を築き上げ、タイで新しい環境をつくり上げてきた道のりには、数々の壁があったのだと思うのと同時に、信時さんの相手を思うコミュニケーションがあったからこそタイの環境にも受け入られて来たのではないかなと思います。
“相手を思うコミュニケーション”、難しくないようで実に難しい。
信時さんのコーフボール普及活動は、今後も世界で広まっていくのだと思います。
今後の信時さんの挑戦にも注目です。
一般社団法人Japan Sports Hubでは
✔︎体育会系の経営者
✔︎現役or元アスリート
✔︎世界で活躍する日本人
を定期的にインタビューし、発信していく予定です。
もしお知り合いにいたら是非ご紹介頂ければ幸いです。
JSH理事:田中
信時盛人(のぶとき もりと)
1987年6月14日大阪府生まれ
大阪大学大学院工学研究科修了後、総合商社勤務。大学院時に知ったコーフボールを社会人より本格的に開始。日本コーフボール協会理事に就任中、名古屋のクラブ立ち上げに携わるなど日本での普及に務めていた。2016年より、タイへ駐在となった後、タイコーフボール協会の立ち上げをサポート、コーフボールの五輪競技化を目指す。